東京オリンピックまであと2年。
バレーボール女子代表は悲願のメダル奪取のために、つねにレベルアップに励んでいます。
そう強い全日本女子には
・中田久美
・竹下佳江
この技術もハートも強いセッターがいました。
それほどセッターというポジションはバレーボールでは重要なんです。
現在の全日本女子でセッターを務めているのが田代佳奈美選手です。
高さとパワーで圧倒される世界の強豪国を倒すには、田代佳奈美選手から繰り出されるコンビバレーしかありません。
今回はこの田代佳奈美選手にスポットを当ててみました。
出身高校は?
経歴は?
移籍先のルーマニアに彼氏がいるって本当?
田代佳奈美選手に関するこれらの疑問について調査しましたので、本人のプロフィールと一緒に紹介します。
□田代佳奈美選手のプロフィール
最初は田代佳奈美選手のプロフィールです。
名前:田代佳奈美(たしろ かなみ)
生年月日:1991年3月25日
出身地:滋賀県
身長:173センチ
体重:70キロ
血液型:O型
田代佳奈美選手は1991年生まれの現在27歳です。
ちなみに田代佳奈美選手のニックネームは「ジン」です。
なぜ「ジン」なのでしょうか?
調べてみたところ人気漫画「JIN‐仁‐」の大ファンで、主人公の南方仁から取ったようです。
□バレーを始めたキッカケは?
田代佳奈美選手はお母さんの影響でバレーボールを始めました。
一緒にママさんバレーに付いていったのかな・・・と思いきや、田代佳奈美選手のお母さんの智美さんは実業団でセッターだったんです。
智子さんは田代佳奈美選手が小学校時代に所属していたチームのコーチを務めており、小学校5年生の時に田代佳奈美選手をセッターに育てること決意します。
そして日本代表の試合を映像で見せて、オリンピックに出場することを意識づけました。
その指導は厳しく、試合で結果を出しても褒めたことがないようです。
お父さんも厳しい
お母さんが厳しいとお父さんは優しいイメージがあります。
しかし田代佳奈美選手のお父さんは違いました。
田代佳奈美選手のお父さんの宗昭さんは競馬の厩舎で調教助手兼厩務員を務めていました。
競馬もジャンルは違いますが、つねに厳しい勝負をしなければいけません。
勝負の世界に生きてきた宗昭さんからは「よくやったじゃ意味が無い。目の前の勝負に勝ち切ることが大事なんだ」と教えられていました。
両親ともにこんなに厳しかったら精神的に参ってしまいそうですよね。
多分、両親が厳しいのは勝負の世界だけであって家庭では優しかったのだと思います。
□学歴について
これから田代佳奈美選手の学歴について紹介します。
出身中学はどこ?
田代佳奈美選手の出身中学は長野市立裾花中学校です。
ここで1つの疑問が出てきます。
滋賀県出身で栗東市内の小学校を卒業した田代佳奈美選手が、なぜ長野市内の中学校にいるのか?
考えられるのは、家族の仕事に都合による引っ越しですよね。
しかし田代佳奈美選手の場合はちょっと違うようです。
この裾花中学校は全国の強豪であり、田代佳奈美選手は高いレベルで練習するために1年の秋に転校したんですね。
そして転向後、すぐに先輩を差し置いて正セッターのポジションを任されます。
そして全国大会2連覇を達成するんですね。
そして選抜チームとしても全国制覇を経験します。
さすがに厳しい智子さんも全国制覇は褒めるだろうと思いましたが、
「本当は抱き締めて『よくやった』と言ってあげたかったけど、まだ通過点にすぎないから」
参照記事:iza.ne.jp
このように、特に褒めなかったようです。
うひゃぁ厳しいですなぁ。
高校はどこ?
裾花中学校を卒業した田代佳奈美選手は宮城県の名門・古川学園に入学します。
古川学園は1999年に春高・インターハイ・国体の3つを優勝する三冠を達成するほどの強豪校です。
OGには
・菅山かおる
・高橋めぐみ
・佐藤あり沙
これらの全日本代表だけでなく、Vリーガーやプロビーチバレー選手を輩出しています。
古川学園でも正セッターを務め春高バレー準優勝に貢献します。
また自身もユース代表に選出され、アジアユース選手権で優勝を経験します。
ここまでの経歴を見ると、とても華やかなバレー人生ですよね。
ただその裏には相当な努力があったはずです。
□Vリーグデビュー
高校を卒業した田代佳奈美選手はVリーグの東レアローズに入団します。
東レアローズと言えば、全日本女子の絶対的エース・木村沙織さんが所属していたチームです。
しかも田代佳奈美選手が入団した2009年はVリーグと黒鷲杯の両方を優勝している黄金期だったんです。
いくら田代佳奈美選手が天才的セッターだったとしても、Vリーグデビューまでに1年を要しました。
しかしその後はメキメキと頭角を表して2012年に代表に初選出されます。
2013年にはU23代表のキャプテンとして世界U23女子バレーボール選手権の優勝に貢献します。
リオオリンピック出場
そして田代佳奈美選手は2016年にリオオリンピックに出場するんですね。
ここで親子の夢が叶ったんですね・・・と言いたいところですが、目標は金メダルですので、ここは通過点です。
オリンピック代表に決まった時も智子さんから「今までのようではダメ」とダメ出しされています。
お母さん、厳しいなぁ・・・でもこれは愛情の裏返しなんですよね。
田代佳奈美選手は悲願のオリンピックに出場しましたが、結果は5位でメダルには届きませんでした。
しかしお母さんの智子さんは
「控えていてもチームの一員。期間中は母親に戻って応援できたので、帰国したら今度こそ抱き締めてあげたい」
参照記事:iza.ne.jp
このように述べ、田代佳奈美選手の戦いぶりを称えていました。
私、こういう話に弱いんです・・・。
涙が止まりません・・・。
東レ退団
2018年に田代佳奈美選手は9年所属していた東レアローズを退団します。
退団について本人は
いつもご声援いただき、ありがとうございます。
この度、東レアローズを退団させて頂くことになりました。9年間、東レアローズでのバレー生活の中で沢山学び、色々な経験が出来ました。チームメイト、会社の皆様、ファンの皆様にはこれまでご支援、ご声援頂き感謝の気持ちで一杯です。新たな所でも今までの経験を活かし、沢山学び、更に成長できるように頑張っていきたいと思います。本当にありがとうございました。
このように述べていますが、移籍理由については触れられていませんでした。
□移籍先はどこ?
田代佳奈美選手の新しい移籍先はルーマニアのCSMブカレストです。
このチームは欧州チャンピオンズリーグに出場するほどの強豪チームなんですね。
移籍理由については
この動画からわかるように、自分の実力をアップさせるためです。
田代佳奈美選手のこれまでのバレー人生を見てみると、実力アップのために遠くまで居住地を変えています。
そのため自分が上手くなるためなら、新しい土地に行くことも厭わないのではないでしょうか。
ルーマニアに彼氏がいるって本当?
田代佳奈美選手がルーマニアのチームに移籍した理由は「彼氏がいるから」という噂が流れています。
しかし実際は、全日本女子チームでコーチを務めているフェルト・アクバシュさんが監督なので、その関係で移籍したと思われます。
事実、同じ全日本女子チームに選ばれている井上琴絵選手も移籍しています。
□まとめ
田代佳奈美選手は古川学園を卒業して東レアローズに入団します。
そして2018年からCSMブカレストに移籍しているんですね。
全ては東京オリンピックにむけて実力をアップするためです。
この努力が必ずコートの上で発揮されるはず。
頑張れ!!田代佳奈美選手
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