村上右磨(スケート)の出身高校や大学はどこ?父がコーチってマジ?

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2月19日から行われる冬季アジア札幌大会。

webサイトには開催日までのカウントダウンが設置され、
「いよいよ」という気分を盛り上げています。

さまざまな熱戦のドラマが待っているであろう今大会ですが、
今回ご紹介する村上右磨も要チェックな一人です。

昨秋の全日本距離別選手権500m優勝、
1月28日のベルリンW杯では500m34秒97で
2位(初の表彰台)と、勢いにのっています。

しかし、代表入りを果たすまでは無名に近く、
最近になって名前を知ったという方も
少なくないのではないでしょうか。

成長目覚ましい村上選手の経歴を
さっそく見ていきましょう。

村上右磨のwiki風プロフィール


名  前:村上右磨(むらかみ ゆうま)
生年月日:1992年12月12日
出身地:北海道
身 長:177cm
血液型:B型
所 属:村上電気管理事務所
趣 味:読書

所属の「村上電気管理事務所」は
実家が営む電気の保守管理会社です。

大学を中退後、実家に就職し
「所属」という形で練習を続けていました。

その時の入社理由については、
「スケートだけでは食べられないから」
というものでした。

この言葉から、アスリートとして大成しているのは
ほんの一握りなのだという厳しい現実がわかります。

まして、現役選手が語る実情だけに胸に重く響きます。

出身高校や大学は?

高校は帯広工業高等学校の出身です。

帯広といえば、
スピードスケート競技の会場になりますね。

先生や後輩も応援に駆けつけるかもしれませんね。

大学へは北翔大へ進学しますが、
「学費を浮かし、遠征費を捻出するため」
に3年で退学します。

「スケートはお金がかかる」とはよく聞きます。

そこでどのくらいかかるのか調べてみました。

(ただ、スピードスケートの例がなく、
フィギュアしか見つかりませんでした)

だいたい平均年間1000万円
遠征費だけで500万円かかるらしいのです。

フィギュアは衣装代やコーチ費用もかかるので
それよりはもう少し安いという説もありますが、
コストがかかるのは事実です。

練習・仕事・お金・・・

普通だったら断念してもおかしくありません。

しかし、そんな厳しい中でも続行したのは
スケートを納得するまで追いかけたいという
執念だったんでしょうね。

スピードスケートの経歴や記録

幾つもの苦労を乗り越えた村上選手ですが、
更に異色な経歴です。

まず、スケートを始められた時期は3歳

早いうちから氷上に慣れ親しんでいた点は
他のスピードスケート選手も同じはありですが
違う点はここからです。

なんと!

中・高・大学と、スケート部などに属せずに
お父様の指導で練習を続けていたのです!

もしかしてお父様は元・選手だったのか?と思ったアナタ。

違うんです!

競技未経験だったのです!!

そこで気になるのは、
お父様がどこで指導法を身につけたのかという点です。

詳細が見つからなかったので
その辺は不明のままでしたが

おそらく映像で研究したり、
指導者向けの講習会に参加されたのかもしれません。

「その道のスペシャリストが教えて選手を伸ばす」のが
アスリートへの指導法だとばかり思っていたので
度肝を抜かされました(汗)

そして、戦績は古いものですと
中学時代に2005年9月に釧路で行われた
第10回北海道ショートトラック大会兼
釧路ショートトラック大会記録に出場し、

500m3位・1000m2位となっています。

全国高等学校スケート選手権大会では、
500mの部で3位の成績を収めています。

大学時代は日本学生氷上競技選手権大会の
500m5位が記録に残っています。

中退後は、家業の傍ら競技を続けていました。

代表入りのきっかけは、
2015年の全日本スプリント選手権での入賞。

初日が3位で2日目が4位という成績が目に止まり、
晴れて昨年に代表入りの座をつかみ取ります。

それまでは、何度も諦めかけた
インタビューで語っています。

初めて辞めることを意識したのは高校時代だったそうです。

しかし、島崎京子さんと出会い、
(長野五輪まで3大会連続五輪出場。
日本女子初の500mW杯種目別総合優勝)
指導を受けてインターハイで3位になれたことで止まります。

さらに大学3年でやめようと思った時も、
パワーリフティングの日本記録保持者の方と
たまたま知り合い、指導のあとに

日本学生氷上競技選手権大会で35秒台を達成します。

そこで続投の決意が固まったと言います。

選ばれてからは練習環境・練習量もすべて激変。

それまでは仕事の後、
ウエイトトレーニングを週5時間するというものでした。

しかし選出後は30時間以上に増やし、
筋力と脚力を伸ばしていきました。

その甲斐あってついに1月27日ベルリンW杯では
35秒を切り2位入賞を果たしました。

村上選手自身初の表彰台です!

【現在までの成績】

2011 全国高等学校スケート選手権大会 500m 3位

2012 全日本ジュニアスピードスケート選手権大会(スプリント) 総合3位

2013 日本学生氷上競技選手権大会 500m 5位

2015 全日本スプリントスピードスケート選手権大会 総合8位

2015/16 ジャパンカップポイントランキング 500m 3位

2016 全日本スピードスケート距離別選手権大会 500m 優勝

2017 W杯ベルリン500m2位 

管理人が会場にいたら、
誰も立ち上がってなくても名前を呼んで
スタンディングオベーションしてます!

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プライベートの性格は?

お写真やエピソードから想像ですが・・・

お仕事と練習を両立させていた面を考えると、
真面目で朴訥な青年なのではないでしょうか。

家業が電気関係ということもあり、
練習の合間をぬって危険物取扱
電気三種の資格も取得しています。

スケートを引退後は
「独立して社長になるのが夢」
と語っています。

この発言だけ切り取ってしまうと、
野心に溢れてるなぁと思ってしまいがちです。

ですが、

長年指導面からお仕事までサポートしてくれた
お父様から独り立ちすることが
村上選手の目標なんでしょうね。

とはいえ、それはまだ先の話。

息子の代表入りに、
お父様はさぞかし嬉しかったのではないでしょうね。

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兄や妹は?

ご兄弟に関するお話は、
残念ながら見つかりませんでした。

ただ、スケートをしている方は
「兄弟で競技者率」がかなり高いですよね。

(そう思うのは自分だけ?)

もしかしたらお父様の熱血指導の元、
ご兄弟で練習していた可能性もあるかもしれないです。

結婚や彼女の噂は?

見るからにシャイで実直そうな印象の村上選手。

彼女さんはいらっしゃら・・・ないようです。

(情報がありませんでした。)

苦労を重ねて代表入りを果たした現状を見ると、
今が一番大事な時なので
競技と練習に邁進中なのかもしれませんね。

【村上右磨】まとめ

所属先がご実家であったり、

コーチがお父様であったりと、異色づくしの村上選手。

ですが、諦めかけた時にその道を極めた方と出会い、

技術に進化させたことは「スケート愛」が生んだ結果です。

「遅咲きのスピードスター」は

今後どんな滑りを魅せてくれるか楽しみですね!

頑張れMurakami!

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